日野原重明さん死去ニュース 功績とインタビュー

ニュース

日野原重明さん死去ニュース 功績とインタビュー
  • 日本で一番簡単にビットコインが買える取引所 coincheck bitcoin
  • bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で
bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44年)10月4日 - 2017年(平成29年)7月18日)は、日本の医師・医学博士。聖路加国際病院名誉院長

野原先生

日野原重明さんインタビュー「僕はまだ燃えている。夢があると強いよ」

インタビュー

日野原重明さん「僕はまだ燃えている。夢があると強いよ」(2014年8月掲載)

2014年8月15日


「運命は自分で切り開くものです」=東京都中央区の聖路加国際病院旧館内チャペルで、竹内紀臣撮影
[PR]

100歳超えてなお、抱えきれない夢
 5月に「十代のきみたちへ ぜひ読んでほしい憲法の本」(冨山房インターナショナル)を出版した。一節に、こうある。

 「いのちを守る憲法を持っている日本の人たちは、もっともっといのちを大切にしなければなりません。いのちの大切さを忘れ、お金もうけばかりに気を取られていると、そのうち憲法を変えようとする人たちに、いのちを守らない憲法をつくられてしまうかもしれません」

 これまで200冊以上の本を書いてきたが、憲法をテーマにしたのは初めてだという。なぜ今? 政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、「戦争」の言葉が盛んに飛び交う現状を「『いのちを守る』はずの憲法の解釈を変え、大人は日本を戦争をする国にしてしまった」と憂える。「それに『ノー』と言える子供たちを育てることに力を入れたい」と力を込めた。

 10歳の時、大病で意識不明になった母親を救ってくれたかかりつけ医に憧れた。生家はクリスチャン。神学者であり、医師としてアフリカの医療に生涯をささげたアルベルト・シュバイツァーの伝記に触れ、思いは一層強くなった。京都帝国大学医学部に進んだが、結核で1年の闘病生活を強いられる。それがあって徴兵されず、太平洋戦争開戦の年に聖路加国際病院で内科医として働き始めた。「戦争に多くの医師がとられ、年寄りと病気の医師しかいなかった聖路加に救われた」

 徴兵されなかったことをどう思ったかと問うと、「戦争で無駄死にしないですんだ」。「平和主義者」は即座にこう答え、「人間は過ちを犯します。それが人間なのですが、過ちを許す心が大切です。戦争は、許す心とは逆の事態。今は許す心が失われているように思えて仕方ありませんね」と嘆いた。

 急性腎臓病で運動を禁じられた小学生の時、アメリカ人宣教師の妻に当時は珍しかったピアノを習った。大学時代、結核の闘病中には「レコードを聴いて、それを五線譜に落とし込むことを独学で勉強した」。医師になっていなければ、「病気して得た音楽」の道に進んでいたかもしれないという。

 その思いが2000年、アメリカの教育学者が書いた童話「葉っぱのフレディ」のミュージカル化で結実する。木の葉の四季を通し、つながれていく命の大切さを訴える物語。日本語に訳した翻訳者からミュージカル化を依頼され、さすがに「専門外ですからと2度、断った」ものの、音楽好きの心がざわついた。「ちょっと惜しいなと思い、すぐに連絡を取ってミュージカルのための脚本を書くことにしました」と振り返る。

 以来、「企画・原案」に名を記して公演されるようになって15年。4年前にはニューヨーク公演を実現させた。いまでは自分が書いた童話に音楽を付けることに熱中しているようで「近々、発表したいね」と、柔和な目がいたずらっぽく光った。

 物書き、音楽家、そして医師という顔。共通するのは、命を守り、その大切さを説く伝道師であることだ。

 病院には毎日足を運び、緩和ケア病棟で回診もこなす。名誉理事長を務める聖路加看護大学では、「ナースのための高級診察術」の講義もしてきた。「看護師の役目は医師の補助ではない」と、看護師自身が患者を見立てる目を習得する全16回の連続講義。1年目の一昨年は聖路加関係者だけを対象にしたが、昨年からは外部の看護師や医師にも受講生を広げた人気の講義で、この秋も継続する。

 その聖路加看護大学は4月、聖路加国際大学に名称変更した。看護学部一つの単科大学に変わりはないが、医学部創設の構想を描く。「教員の半分は外国人にして日本語を使わない授業で医師を育てたい」。東北を除き医学部新設が認められない中、実現は簡単ではない。だが、この人ならひょっとして、という思いにさせられるのは、年を重ねた人だからだけではないだろう。

 100歳を超えてなお、それぞれの顔はパワーアップ中なのだ。「日が沈むころ、夕焼けがあるように、僕はまだ燃えています。普通の人は、いまさらと言うかもしれません。医学部をつくりたい、音楽をやりたいと、僕にはまだまだ夢がある。夢があると人は強いよ」

 ちっぽけなものではない。「抱えきれないほどの夢」--こう言って両腕を大きく広げた。【内野雅一】

 ■人物略歴

ひのはら・しげあき
 1911年山口市生まれ。102歳。74年聖路加看護大学学長、92年聖路加国際病院院長。「110歳まで現役」と話す姿は高齢者に希望を与える。「十歳のきみへ-九十五歳のわたしから」など、著書多数。

出典 http://mainichi.jp

日野原重明さん(105)死去 医師、作家として活動

追悼】日野原重明先生お墨付きの習慣で、今後も頑張って参ります

日野原重明先生「10月4日104歳に104句」の句集を発刊‼ 長寿の秘訣は

日野原重明さん死去 twitter

日野原さん死去 生涯現役貫く

日野原重明さん死去ニュース

出典 http://playaroundtokyo.whdnews.com

日野原 善輔(ひのはら ぜんすけ、1877年3月12日 - 1958年6月21日)は戦前、戦後に活躍したメソジスト派の牧師である。医師である日野原重明の実父。

生涯

幼少期
1877年(明治10年)に山口県萩市に生まれる。
1891年(明治24年)14歳の時に山口教会
(現・日本基督教団山口信愛教会)の
S・ショウから洗礼を受ける。

学生時代
神戸の関西学院普通部と高等部で学ぶ。
1897年(明治30年)に20歳になり徴兵検査を受けて
2年間の兵役に従事してから、
米国のノースカロライナ州トリニティカレッジ
(デューク大学)に4年間留学し、
英文学と神学を専攻する。

牧師時代
1905年(明治38年)に帰国後、
大阪西部教会(現・東梅田教会)牧師に就任、
再びアメリカに留学する。
ユニオン神学校で2年間学ぶ。
ユニオン神学校で学んでいる間に、
次男の重明が生まれる。
帰国後、大分教会の牧師になる。
1915年(大正4年)より、神戸中央教会(神戸栄光教会)の牧師を務める。
1930年(昭和5年)より広島女学院長を務める。
1942年(昭和17年)より日本基督教団玉川平安教会牧師を務める。
また、栃木県真岡市光ヶ丘教会の開拓に従事する。


戦後になり、1958年(昭和33年)に渡米している間、
バージニア州リッチモンドで病死する。

死後
死後、上尾市に日野原記念会堂上尾栄光教会が建設された。

出典 http://ja.wikipedia.org

日野原 重明(ひのはら しげあき)著書

『2)心音並に心雜音の一新記録法』[30] 日本循環器病學 1940
『オスラー博士の生涯:アメリカ醫學の開拓者』 中央醫學社 1948
『医学するこころ』岩波書店 1991
『看護学講座:第1解剖・生理学』 学術書院 1949
『看護学講座:第5薬理学』 学術書院 1949
『性と結婚の科学』 医学書院 1951
『解剖・生理学の要点』 医学書院 1951
『高等看護学講座:第1医学概論』 医学書院 1952
『水と電解質の臨床』 医学書院 1955
『看護学教科書:第3解剖生理』 医学書院 1957
『病む心とからだ』 日本YMCA同盟出版部 1958
『解剖生理の要点』 金原出版 1959
『人間ドック:もの言わぬ臓器との対話』 中公新書 1965
『POS医療と医学教育の革新のための新しいシステム』 医学書院 1973
『医療と教育の刷新を求めて』 医学書院 1979.2
『心臓病とともに生きる』 協和企画 1979.7
『女の一生と健康:各年代の充実をめざして』 婦人之友社 1979.10
『プライマリ・ケア入門』 金原出版 1979.6
『生の選択:水平の世界・垂直の世界』 日本YMCA同盟出版部 1981.1
『死をどう生きたか:私の心に残る人びと』 中公新書 1983.3
『医療と医学教育の新しい展開:日野原重明座談集』 医学書院 1983.4
『延命の医学から生命を与えるケアへ』 医学書院 1983.6
『老いを創める』 朝日新聞社 1985.3 のち文庫
『健やかないのちのデザイン』 春秋社 1986.10
『老いと死の受容』 春秋社 1987.3
『人生の四季に生きる』 岩波書店 1987.6 のち現代文庫
『いのちの終末をどう生きるか』 春秋社 1987.7
『日野原重明著作集』 全5巻 中央法規出版 1987-1988
『名医が答える血圧なんでもQ&A』 中央法規出版 1987.10
『狭心症と心筋こうそく:心臓病に克つ』 講談社 1988.4
『「いやし」の技のパフォーマンス』 春秋社 1989.7
『いのちの器:人生を自分らしく生きる』 主婦の友社 1989.10 のちPHP文庫
『老いへの挑戦』 1989.12 岩波ブックレット
『日野原重明著作・講演集』 1-2 医学書院 1991.6
『病むことみとること』 日本基督教団出版局 1991.10
『医と生命のいしずえ:医療をめざす、若き友へ』 同文書院 1991.6
『健康行動の提言:新しい健康教育をめざして』 中央法規出版 1991.1
『生と死に希望と支えを:全人的医療五十年に想う』 婦人画報社 1991.1
『命をみつめて』 岩波書店 1991.2 のち現代文庫
『心とからだの健康設計:人生の午後に立って』日本経済新聞社 1991.3
『心臓病にかかりやすい人かかりにくい人』 ごま書房 1992.7 (Goma books)
『生きることの質』 岩波書店 1993.5 のち現代文庫
『医の道を求めて:ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』 医学書院 1993.9
『六十歳は二度目の成人式:親、社会に代わって、自分で自分を育てる時がはじまる』 ごま書房 1994.6
『看とりの愛』 春秋社 1994.4
『健康を創るヒント』 時事通信社 1994.6
『ボランティアを生きる:<いのちの泉>はつきることなく』 PHP研究所 1995.8
『豊かに老いを生きる』 春秋社 1995.10
『人間ドック・健康診断を受ける方、受けた方へ』 主婦の友社 1995.11
『音楽の癒しのちから』 春秋社 1996.12
『出会いに学び、老いに成長する』 講談社 1996.5のち+α文庫
『「生活習慣病」がわかる本:あなたがつくり、あなたが治す病気』 ごま書房 1997.2
『六十歳の新人宣言』 ごま書房 1997.5(ゴマブックス)
『現代医学と宗教』 岩波書店 1997.8(叢書現代の宗教)
『老いに成熟する』 春秋社 1997.12
『<ケア>の新しい考えと展開』 春秋社 1999.2
『医のアート、看護のアート』 中央法規出版 1999.8(日野原重明著作選集 上)
『死と、老いと、生と』 中央法規出版 1999.9(日野原重明著作選集 下)
『道をてらす光:私が学んだ人と言葉』 春秋社 2000.1
『院内ルールと医師のマナー』 エルゼビア・ジャパン 2000.4
『「フレディ」から学んだこと:音楽劇と哲学随想』 童話屋 2000.10
『生きかた上手』ユーリーグ(現ハルメク)、2001 のち文庫
『生きかた上手:新訂版』 いきいき(現ハルメク) 2013.4
『「新老人」を生きる:知恵と身体情報を後世に遺す』 光文社 2001.5
『50歳からの「生きる」技術:75歳以上の新老人を目指して』 朝日出版社 2001.12
『いのちを創る:生き方・生命力・安らぎ・からだ』 2002.2 講談社+α文庫
『人生百年私の工夫』 幻冬舎 2002.7 のち文庫
『刷新してほしいナースのバイタルサイン技法:古い看護から新しい臨床看護へ』 日本看護協会出版会 2002.8
『いのちの言葉』 春秋社 2002.8
『いのちの言葉〔増補版〕』 春秋社 2013.9
『日野原重明の生き方哲学:よく生き、よく老い、よく病み、よく死ぬ』(中央法規出版、2002年9月/PHP文庫、2006年6月、ISBN 4569666175)
『こころ上手に生きる:病むことみとること人の生から学ぶこと』 2002.10 講談社+α文庫
『生きかたの選択』河出書房新社、2002
『生きるのが楽しくなる15の習慣』 講談社 2002.10 のち+α文庫
『満たされる人生のつくり方:CD・book』 講談社 2002.10
『生きかた上手:対話篇』 ユーリーグ(現ハルメク) 2002.10
『生きかたの可能性』 河出書房新社 2002.11
『人生改造生活習慣病を防ぐ本』 幻冬舎 2002.11
『日野原重明のいのちと生きがい』 青春出版社 2003.1
『機嫌よく元気よく:日野原重明のいのちと生きがい』(青春文庫、2007年1月)
『生きかたの処方箋』 河出書房新社 2003.2
『続・生きかた上手』ユーリーグ(現ハルメク)、2003 のち文庫
『100歳になるための100の方法:未来への勇気ある挑戦』 文藝春秋 2004.1 のち文庫
『テンダー・ラブ:それは愛の最高の表現です。』 ユーリーグ(現ハルメク) 2004.10
『日野原重明アートでいきいき』 実業之日本社 2004.12
『あるがまま行く』(朝日新聞社、2005年1月)
『長さではない命の豊かさ』(朝日文庫、2007年8月、ISBN 4022615397)
『私が人生の旅で学んだこと』 集英社 2005.3 のち文庫
『「幸福な偶然」をつかまえる』 光文社 2005.6
『新・生きかた上手』 ユーリーグ(現ハルメク) 2005.10 のち文庫
『いのちの哲学詩:水のように形なく風のように姿が見えない』 ユーリーグ(現ハルメク) 2005.10
『私の幸福論「しあわせ」を感じる生き方』 大和書房 2005.11
『どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか』(だいわ文庫、2009年5月、ISBN 4479302344)
『わたしが経験した魂のストーリー』 キリスト教視聴覚センター 2005.12
『人生、これからが本番:私の履歴書』 日本経済新聞社 2006.4
『十歳のきみへ:九十五歳のわたしから』 冨山房インターナショナル 2006.4
『私のすすめる健康の秘義:ライフプランニング実践への誘い』 中央法規出版 2006.9
『いのちの授業』 ユーリーグ(現ハルメク) 2006.10
『いのちのおはなし』 村上康成絵 講談社 2007.1
『95歳からの勇気ある生き方』(朝日新聞社、2007年/「あるがまゝ行く」文庫)
『ササッとわかる「長生き人生」の優先順位』 講談社 2007.5
『日野原重明 いのちと勇気のことば:いかに生きるか・何を残すか』(こう書房、2007年/ぶんか社文庫)
『看護の知識と技を革新する:古い看護から新しい看護へ:science and art』 日本看護協会出版会 2007.6
『子どもを輝かせる10のお話』 実業之日本社 2007.12
『人生を輝かせる10のお話』 実業之日本社 2007.12
『いま伝えたい大切なこと:いのち・時・平和』 日本放送出版協会 2008.1
『今日の「いのち」のつかい方:ペイフォワードな生活のすすめ』 主婦の友インフォス情報社 2008.5
『いのちのバトン:97歳のぼくから君たちへ』 いわさきちひろ絵 ダイヤモンド社 2008.11
『道は必ずどこかに続く』 講談社 2009.3
『臨床看護の基礎となる新看護学テキスト:看護の革新を目指して』 日本看護協会出版会 2009.5
『いのちのメッセージ』 三笠書房 2009.6
『いのちの絆:ストレスに負けない日野原流生き方』 ダイヤモンド社 2009.8
『旅での人と自然との出会い:紀行詩』 集英社 2009.9
『メメント・モリ:死を見つめ、今を生きる:死を想え』 海竜社 2009.12
『日野原先生からナースに贈る35のメッセージ』 日本看護協会出版会 2009.10
『子どもを育てる聖書のことば』 いのちのことば社フォレストブックス 2009.11
『日野原重明の「こころ」と「からだ」の相談室』 日本放送出版協会 2010.1
『日野原体操で健康長寿』 日本放送出版協会 2010.1
『働く。:社会で羽ばたくあなたへ』 冨山房インターナショナル 2010.4
『生きてるだけで100点満点:99歳のぼくから君たちへ』 ダイヤモンド社 2010.9
『百歳は次のスタートライン:祝百歳記念!悩めるあなたに贈る「至福の百話」』 光文社 2010.10
『愛とゆるし』 教文社 2010.11
『いのちを育む:百歳の私から人生を楽しむための「道しるべ」』 中央法規出版 2011.9
『100歳のことば100選』 PHP文庫 2011.10
『100歳の金言』 ダイヤモンド社 2012.2
『「いのち」の使命:3.11後を生きる』 日本キリスト教団出版局 2012.8
『いのちの使い方』 小学館 2012.10
『生きかた上手手帳:2013年版』 いきいき 2012.10
『日野原重明ダイアローグ』 医学書院 2012.10
『生きがいを感じて生きる:福祉の役わり・福祉のこころ』 聖学院大学出版会 2012.11
『「与」命:団塊世代よ、あなたの晩年は40年間ある』 小学館 2013.2
『長寿の道しるべ』 中央公論新社 2013.3
『101歳の金言』 ダイヤモンド社 2013.3
『日野原重明の「わくわくフェイスブックのすすめ」』小学館 2013.4
『永久保存版 健康&長寿の秘訣 生き方バイブル:DVD2枚組+ブックレットで繋ぐ、日野原重明101年の集大成』 小学館 2013.5
『いのちのギフト:犬たちと私から送る勇気のエール』 小学館 2013.9
『だから医学は面白い:幻(ビジョン)を追い続けた私の軌跡』 日本医事新報社 2014.9
『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』小学館 2015.9
『10月4日 104歳に 104句』ブックマン社 2015.10.2

感想

後期高齢者の希望の星でした。
90歳超えても現役で働いて
活動的に動き回っていることに
感銘を受けておりました。
 
手本となるような
善い行いをされている人は
神様に生かされているようにおもいます。
 
明治生まれのお父様は
これまた立派な方で
徴兵制度を経て
アメリカに留学し
しかもデューク大学とは!驚きました。
山口県の資産家でいらしたのですね。
 
すごい!
 
長い間、お疲れ様でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。

Shigeaki Hinohara: Remarkable life of Japan's centenarian doctor

by BBC news

出典 http://www.bbc.com

Shigeaki Hinohara: Remarkable life of Japan's centenarian doctor
18 July 2017
From the section Asia These are external links and will open in a new window Share this with Facebook Share this with Twitter Share this with Messenger Share this with Email Share
Japanese doctor Shigeaki Hinohara attends a news conference in Tokyo, Japan by Kyodo on September 25, 2015Image copyrightREUTERS/KYODO
Image caption
Shigeaki Hinohara was a well known and highly respected figure in Japan
Shigeaki Hinohara, one of Japan's most famous doctors, has died at the age of 105.
Dr Hinohara continued seeing patients until months before his death and frequently offered advice on how to live well.
Described by his colleagues as Japan's national treasure, he headed five foundations in addition to being the president of St Luke's International Hospital in Tokyo.
Here are some highlights from his remarkable life.
He began working during World War Two
Dr Hinohara began his working life as a doctor at St Luke's in the 1940s.
During the war he helped to treat victims of the firebombing that destroyed large parts of the Japanese capital.
Smoke rises from the city of Tokyo during an American air-raid, Japan, June 1944Image copyrightGETTY IMAGES
Image caption
Much of Tokyo was destroyed by bombing in World War Two
He once survived a plane hijacking
In 1970 Dr Hinohara was a passenger on a Japan Airlines plane hijacked by the communist militant group, the Japanese Red Army.
The hijackers, who were armed with swords and pipe bombs, took 129 hostages on the flight from Tokyo to Fukuoka, later releasing them at Fukuoka and the South Korea capital Seoul before flying on to North Korea where they were offered political asylum.
In a 2008 interview with the Japan Times, Dr Hinohara said the hijackers had explosives strapped to them "and we were terrorised, wondering whether the negotiations might break down".
He wrote the script for a musical
A great music lover, Dr Hinohara, at the age of 88, wrote a script for a Japanese musical entitled The Fall of Freddie the Leaf.
The show was first performed in 2000 and Dr Hinohara also acted in the production, dancing with children, the Japan Times reported.
TV appearances into old age
Dr Hinohara frequently appeared on Japanese television, urging audiences to have more fun in their lives and to ward off illness by always giving themselves something to look forward to.
On TV and through a best-selling anthology of essays called How to Live Well, he encouraged others to do away with strict rules on when to eat and sleep. One of his last pieces of advice was; always take the stairs and keep up your strength by carrying your own bags.
Japanese Empress Michiko (R) talks with physician Shigeaki Hinohara prior to a concert performed by South Korean tenor Bae Jae-chul in Tokyo, Japan, July 31, 2016Image copyrightREUTERS
Image caption
Dr Hinohara believed in keeping an active social life. He met Japanese Empress Michiko at this concert in 2016
"We all remember how as children, when we were having fun, we often forgot to eat or sleep," he once said.
"I believe we can keep that attitude as adults - it is best not to tire the body with too many rules such as lunchtime and bedtime."
Contributions to healthcare in Japan
In 1954 Dr Hinohara introduced Japan's system of comprehensive annual medical check-ups - called "human dry-dock" - which have been credited with greatly contributing to the country's longevity.
He was also a strong advocate of maintaining an active social life into old age.
Dr Hinohara became director of St Luke's in the early 1990s and, according to the Japan Times, had oxygen tubes installed throughout the building in 1994 to prepare for mass casualties if an earthquake struck the capital.
The next year, a sarin gas attack on Tokyo's metro by members of a cult killed at least 12 and injured thousands but the hospital was able to cope with the number of patients because of Dr Hinohara's preparations, the Times says.
'Most energetic person I have ever met'
Many tributes have been paid to Dr Hinohara, including by the Japan Times journalist Judit Kawaguchi, who knew him well.
She told the BBC World Service World Update programme that he had amazing energy and drive.
"I met him when he was already in his 90s and I would say he drastically changed my mind about ageing because even then he was working 18 hours, seven days a week, and he was the most energetic person I've ever met," she said.
"He believed that life is all about contribution, so he had this incredible drive to help people, to wake up early in the morning and do something wonderful for other people. This is what was driving him and what kept him living."
She added: "He always had today's goals, tomorrow's and the next five years. I feel very sad that he died because his dream was to attend the Olympics in Tokyo in 2020. That was his next big goal and he couldn't make it.
"But he was just an amazing, amazing person and everybody who met him was transformed because of him."

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で
1
  • 日本で一番簡単にビットコインが買える取引所 coincheck bitcoin
  • bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で
bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

関連記事

ピックアップ!

ピックアップ!

月別アーカイブ

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で